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蛍
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「蛍を見るのは嫌いだ」
不機嫌そうに呟いて風魔はぷいとそっぽを向いた。
こういう時に半蔵は大抵何も言わない。
その素振りは、別に風魔が蛍を好きだろうが嫌いだろうが全く興味がない様に見える。
風魔はそれが一番気に入らない。
例えば半蔵が同じような事を云えば風魔は必ず、何故嫌いなのかと問うだろう。
別に相手がその答えを持っていようがいまいが関係ない、問うという事が重要なのだ。
相手の言動や素振りに対して幾許かでも興味を示す事は決して無礼ではない。
そして興味を示していると相手に理解させるもっとも簡単な方法が、問うという事なのだと、風魔は思っている。
第一、口を開かねば何も始まらないではないか。
折角二人して野に出て来たのだ、どんな話でも何か話したい。
半蔵がどう思って居るのかは知らないが、ともかく風魔は半蔵の事を知りたいと思っていた。
ましてや我らは――
そこまで考えて、風魔はおのれの胸の処までしかない小柄な男の豊かな黒髪を見下ろした。
つむじまでしっかりと見降ろせる程小さな男、風魔はこの男にすっかりと惚れているおのれを自覚していた。
そうして、男もまた風魔を憎からず想うていると言ったのだ、確かに。
「うぬはつれない」
蛍を嫌いと云った声音に更に不機嫌さを上乗せて風魔は文句を云う。
くすり、と半蔵が笑った気配がして、風魔は普段の倍は凶暴な貌をして下方をにらんだ。
ふわり、と目の前を蛍が飛ぶ。
薄緑の光がゆらりゆらりと明滅して風魔の目の前を過ぎて行く。
一瞬握りつぶしてやろうかと思ったが、大人気ないと小さく息を吐いて止めた。
「正解だ」
風魔を一瞥もせずとも気配でそうと悟ったのだろう、半蔵が苦笑交じりにそう言った。
「実のところおれも蛍はあまり好きではない」
風魔を置いて河原の方に歩いて行きながら、半蔵はそう言った。
普段はきつく括っている黒髪が、今宵は解かれて半蔵の背でゆらゆらと揺れていた。
「蛍は人の魂の様に見えるだろう? あれを見ていると何やら恨み言を云われておる様でやるせない心持ちがする」
同じだ、と風魔は思った。
風魔もまた同じことを思い、蛍が嫌いと口にしたのだ。
ふわり、ふわりと飛び交う光を見つめ、風魔は胸がきりきりと痛むように感じた。
きっと今おのれは酷い顔をしているに違いない。
普段は決して表に出さない、後悔やら懺悔やらの感情が躯の内から這い上がりおのれの面ににじみ出している様に思えた。
少し先に居る半蔵もまた同じなのかもしれない。
此方に背を向けたままただぼんやりと川面を見つめて微動だにしない。
その肩に、髪に、幾つかの光がふわりふわりと纏わりついている。
「だがまた同時に愛おしくもある」
肩にとまった蛍を指先に乗せて、半蔵は優しげにそう言った。
「こんなおれでも帰って来て欲しい魂のひとつふたつはあるのでな」
くすくすと背を向けたまま半蔵は笑う。
「なあ風魔、おれが死んだら蛍になって帰ってくるゆえ、その時は嫌わずにまたこうして野に出ておれを迎えてくれるか」
ゆっくりと振り返った半蔵の顔には、おのれと同じ後悔やら懺悔やらの感情が浮かんでいて、酷い顔だと風魔は思った。
その様にまで思う相手が一体誰なのか、どのようにして死んだのか、聞いてみたい気はしたが風魔は口を開かなかった。
聞かずとも、言わずとも、どうやらおのれらは同じような思いを持っているのだろうと理解出来たからだ。
だから風魔は何も言わずその場に静かに膝をついた。
蛍の光に照らされて、半蔵の顔が僅かばかりにほころんだのが見てとれた。
ざりざりと草を踏みしめ近付いて来る。
同じ高さになった風魔の顔に浅黒い手がそっと触れると、半蔵は触れるだけの口付けをくれた。
薄く冷たい唇が離れると同時に風魔は口を開く。
「我より先に死する事は許さぬぞ」
「そう言うと思うた」と半蔵は笑った。
ふいに半蔵が足元の石くれを拾い上げ、河原の大きな木にそれを投げつけた。
石の衝撃に驚いて、木の枝に止まっていた蛍が一斉に舞い上がる様はそれはそれは美しく――
「うぬと共に見る蛍は、嫌いではない」
風魔は苦笑交じりにそう言って、半蔵の黒髪に絡みついていた蛍をそっと空に離してやった。
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⇒end